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竹谷先生・吉相墓面会日
予約制 宗家三代目竹谷聰進先生 |
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京都 毎月 |
1日・13日 |
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大阪 毎月 |
3日 |
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東京 毎月 |
6日 |
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松戸 毎月 |
7日 |
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札幌 6・10月 |
22日 |
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岡山 毎月 |
17日 |
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姫路 偶数月 |
18日 |
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高松 奇数月 |
18日 |
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福岡 奇数月 |
27日 |
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※徳風新聞でご確認下さい。 |
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徳風会吉相墓各地面会 |
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全国各地徳風会浄行 |
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| 京都浄行 |
第二(日)曜 |
| 京都全国地蔵流し 春・秋 |
| 京都全国傍系供養祭 7月 |
| 大阪浄行 |
第三(日)曜 |
| 神戸浄行 |
第四(日)曜 |
| 札幌浄行 |
第二(日)曜 |
| 札幌傍系供養祭 9月 |
| 函館浄行 |
第三(日)曜 |
| 藤代浄行 |
第三(日)曜 |
| 関東地蔵流し |
4月 |
| 関東傍系供養祭 7月 |
| つくば浄行 |
第一(日)曜 |
| 銚子浄行 |
| 銚子地蔵流し |
7月 |
| 東京浄行 |
第二(日)曜 |
| 八王子浄行 |
第二(日)曜 |
| 八王子地蔵流し 11月 |
| 山梨浄行 |
第二(水)曜 |
| 浜松浄行 |
6月・12月 |
| 名古屋浄行 |
3月・9月 |
| 東海傍系供養祭 8月 |
| 松阪地蔵流し |
4月 |
| 米子浄行 |
第一(日)曜 |
| 松江浄行 |
第一(日)曜 |
| 岡山浄行 |
第一(日)曜 |
| 岡山地蔵流し |
7月 |
| 岡山傍系供養祭 12月 |
| 広島地蔵流し |
4月 |
| 広島傍系供養祭 10月 |
| 山口浄行 |
| 下関浄行 |
第二(日)曜 |
| 下関地蔵流し |
9月 |
| 松山地蔵流し |
3月・9月 |
| 福岡浄行 |
第二(日)曜 |
| 九州傍系供養祭 11月 |
| 熊本浄行 |
第二(日)曜 |
| 大分浄行 |
第三(日)曜 |
| 鹿児島浄行 |
5月・7月 |
| (東泉寺浄行) |
第一(日)曜 |
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(東泉寺地蔵流し) 8月 |
| ※徳風新聞でご確認下さい。 |
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森羅万象、この世の形のあるものに相のないものはありません。土地には土地の形「地相」があり、家には家の形「家相」があるように、お墓にはお墓の形、すなわち「墓相」があります
。
 墓相の悪いものを避けて災いを回避し、吉相の墓に整えます。また先祖供養は、ご先祖様への「報恩感謝」であり、感謝の心を形にしてお墓を設計し、感謝して祭祀します。
 そして墓相より「陰徳積み」にたどり着きます。お墓を良くするには陰徳が必要であり、ご先祖様に感謝して陰徳を積んで吉相墓を建立し、よく供養して家の根として永続していく土台を固めます。
 そして家系因縁を良くするためにも、陰徳積みを常に心掛けることが大切です。また陰徳が子孫達に回って来て、子孫繁栄の資源となります。「積善の家には必ず余慶あり」余慶とは、先祖の善行のおかげで子孫が受ける幸福です。
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古墳の時代
○前方後円墳は角形・円形の陰陽の秘儀を用いていま
した。
○銅鏡に「長宣子孫」など、子孫繁栄を願って副葬した例があります。子孫繁栄の願いは太古の先祖より現代まで続いている、日本人の心です。
○「赤彩古墳」という石室の内部を赤く塗り、魔よけとした例や、内部に四神を配し
(風水)、吉相を期した例もあります。
古文書
○太子伝と徒然草に聖徳太子が
「ここを断て、あそこを切れ」と墓相(風水)を使ったことが記されています。
○吾妻鏡には、親の墓高きところにありて、その下に住居すれば、その子孫断絶すべしとあります。
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近代墓相
○江戸時代の文政の頃、易学者の高田松屋師の「墓相小言」が発行されました。
高田師作の吉相墓は、夫婦墓を向って右から左へ代々順に建立し、その法則が徳風会の吉相墓にも取り入れられています。子供は建立もせず、刻入もしませんでした。
○高田師の弟子であり易学者の西岡師も同様に右から順に建立し、子供は祀りませんでした。
○西岡師の弟子大浦師は、子供は夫婦の戒名の下に刻入して祀るようにしました。 |
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○多田通幽師(中山通幽尊師)は、明治二十五年、四天王寺にて「無縁法界講」を結成し、無縁墓の清掃・供華と墓相を説き、後に教団「福田海」を設立しました。師が指導し、多くの無縁仏を祀った化野念仏寺が有名です。
先祖の供養塔を建立し、供養塔には宝篋印塔と五輪塔があります。夫婦墓には「寿」の字を刻みます。お骨は壷に入れ、石塔の下に埋納します。
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徳風会 コ風会
○松崎整道師は「福田海」の通幽師より墓相の教えを受けました。「功徳海地蔵講」を設け、
無縁墓の慰霊を初め、後に「徳風会」に名称を変更して活動しました。
お骨は石塔のもとで土に帰し、右奥に供養塔を建立します。供養塔は宝篋印塔と五輪塔があり、夫婦墓には仏の種子を彫ります。
○現在確立されている日本の吉相墓の様式は、初代竹谷聰進師の研究成果によるものです。二十七才のときから三十余年間にわたって墓相の研究に没入し、全国各地のお墓を、モノサシと方位磁石、カメラを持って検分。「墓相・家庭の祭祀・神仏の祭祀・陰徳積み」と、家庭運の関係について調査を重ねました。
その結果「墓は子孫の禍福と財産の関係を如実にあらわす。墓はその家、その人の運命を拓くだけでなく、一族一家の盛衰にもかかわる」と、その膨大な調査実績において確証を得て徳風会の墓相・吉相墓を確立し広く世に知らしめ、昭和二十四年昭和天皇陛下に墓相の話を御聴講いただきました。
二代目竹谷聰進・三代目竹谷聰進に受け継がれて今日も研究を重ねられ、「吉相のお墓を建て、正しく先祖の祭祀をしたい」という人々の要望にこたえて、全国各地でご相談に応じています。 |
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